妙蓮寺で本場のフレンチを<Chez Mamie>(前編)

お店とケのまち

今回は、妙蓮寺のフレンチレストランChez Mamie(シェマミー)の店主
芦田麻美さんにお話を伺いました!

店舗情報

店名
Chez Mamie(シェマミー)
住所
横浜市港北区菊名1-4-6

それでは毎回恒例の「関係のない質問」からどうぞ!

靴のサイズ
24.5
好きな映画
フランス映画
好きなYouTube
アナログなのでYouTube見ないです…(笑)
最近ハマっているもの
試飲会に行って、美味しいワインを発掘すること
好きな音楽
藤井風さんは全般的に好きです
最後に泣いたのは
今年の夏、スイスに旅した時
人生最大の買い物は
このお店の改装ですね
自分へのご褒美は
お酒を飲むこと
17歳に戻れたら
戻りたくないです!(笑)
1億円あったら何する?
スイスに移住する
生まれ変わったら
スイスの牛になって、のんびり過ごしたい

料理の道を志し、フランスへ

酒井:

お生まれになったのはどちらですか?

芦田さん:

菊名です。錦が丘で生まれて小学校は菊名小へ、その後は篠原に引っ越したので、ずっとこの辺りに住んでいました。

酒井:

この辺りは、フランス料理とはあまり馴染みがない街だと思いますが、フランス料理の道を志したきっかけは何だったんですか?

芦田さん:

実家がケーキ屋だったこともあり、小さい頃から父の手伝いをしていて、食べることが大好きでした。

ただ、ケーキは毎日見ていたのであまり好きにはなれず…(笑)

どちらかというと、しょっぱいものが好きだったので、料理の世界に興味を持ちました。

酒井:

高校卒業後は料理の専門学校に行かれたんですか?

芦田さん:

専門学校には行ってないです。

父から、「学校に行くなら現場に行った方が良い」と言われて、卒業後はそのままレストランに修業に行くことにしました。

最初は、横浜の師岡にあったフレンチのお店で2年ほど修業したのですが、その時に出会ったシェフがかなり印象的で…(笑)

フランス帰りのシェフで、新宿からバイクでお店に通われていたのですが、いつも築地に寄って、当時まだ日本では流通していなかった、フランス直輸入のハーブを買って来ていたんです。

もちろん初めて見るハーブばかりだったので、それに衝撃を受けて「これは現地に行ってみなければいけない!」と、フランス行きを決心しました。

フランスでの修業時代

酒井:

フランスでは、最初はどこに行かれたんですか?

芦田さん:

最初は、ロワール川沿いにあるトゥールの語学学校で、1年間フランス語を学びました。

その後、職業訓練校で地元の高校生に交じって勉強し、フランス料理の資格を取得しました。

酒井:

フランス語の勉強で難しかったことはありますか?

芦田さん:

地元の高校生と同じスピード感でコミュニケーションをとらないといけないので、とにかくその速さについていくのに必死でした。

酒井:

学校を卒業した後は、レストランに勤められたんですか?

芦田さん:

そうですね。地元の2つ星レストランを紹介してもらって、1年半勤めました。

勤めている最中に、シェフから「次はどこのお店で働きたい?」と聞かれたので、ダメ元で当時シェフと親交があった

「ジョエル・ロブション!」

と言ってみたんです。

そうしたら、1年ほど待ってロブションさんのOKが出て、パリのロブションで勤めることになりました。

当時のロブションはパリの1店舗のみで、ロブションさん本人も毎日調理場に立たれていたので、一緒に働くことができたのは本当に貴重な経験だったと思います。

酒井:

ロブションではどのくらい働かれたんですか?

芦田さん:

1年半ほど働きました。その後は日本に戻って、大阪と東京で1店舗ずつ経験しました。

東京のお店で働いていた時に、たまたまロブションさんが食べに来てくれたことがあって、その1週間後に

「一緒に働かないか?」

と声をかけてもらい、東京のジョエルロブションで働くことになりました。

そこでも1年半ほど働いて…なぜか1年半ごとに働くお店が変わってますね(笑)

お店をオープンしたきっかけ

酒井:

東京のロブションで働いた後は、どうされたんですか?

芦田さん:

東京で働いているうちにだんだんフランスに戻りたい欲が出てきて…(笑)

酒井:

それで、またフランスに戻られたんですか?

芦田さん:

ワーキングホリデーで行こうか悩んでいた時に、ちょうどロブションさんが東京の店舗に来る時期になって…

その時一緒に連れてきたスイスのパティシエさんから、以前、パリで一緒に修業した友人がMOF(フランスの国民栄誉賞)を受賞したと聞きました。

初めは信じられなかったのですが、本人に急いで電話してみたら本当に受賞していて…(笑)

その人に、「今はスイスでシェフをしているから、一緒に働くか?」と聞かれて、「行く!」と即決しました。

酒井:

それでスイスに行かれることになったんですね。スイスではどのくらい働かれたんですか?

芦田さん:

1店舗目が6年、2店舗目が12年なので、合計18年ですね。

1店舗目が、ローザンヌから車で20分程のクリシェにある三ツ星レストランで、2店舗目はオリンピックミュージアムの中にあるレストランでした。

よく考えると、日本のレストランから始まり、全部で8店舗も経験したことになりますね。

酒井:

8店舗はかなり多いですね…!

スイスから日本に戻られたのはどうしてだったんですか?

芦田さん:

スイスでは環境も良く、仕事もあって、本当に何不自由なく楽しくやっていました。

ただもうすぐ50歳になる節目ということもあり、今後について色々と考え始めて…

スイスの心地よい環境を手放して、挑戦するのはかなり悩みましたが、尊敬しているフランス人のシェフに相談してみたら

「帰った方が良い!」

と即答されました。その時のシェフに

「人間は生まれたところに戻るのが一番だ」

と言われたことが、すごく印象に残っています。その言葉がストンと腑に落ちて、そこからは約4ヶ月で日本に戻ってきました。

酒井:

日本に戻られて、お店のオープンまではどのくらいかかりましたか?

芦田さん:

日本に戻ってきてから5ヶ月ほどでオープンまでたどり着きました。

お店をオープンさせるという目的が決まっていたので、それに向けて猛スピードで進んでいきましたね。

芦田さんありがとうございました!
後編では、日本でのお店のことをお話しいただきます。

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この記事を書いた人

酒井洋輔

酒井洋輔

編集長
くらしとすまいの松栄三代目。妙蓮寺生まれ・妙蓮寺育ち(悪そうな人は友達ではない)農業を参考に、不動産と建築、街づくりが循環し、持続可能な形で成長するビジネスモデルを探求中。

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