社会につながるデザインを〈妙蓮寺 tegusu Inc.代表 藤田雅臣〉(前編)

つくり手ケのまち

今回はデザインオフィス「tegusu Inc.」代表の藤田 雅臣さんにお話を伺ってきました。

プロフィール

藤田 雅臣

静岡県生まれ。静岡文化芸術大学卒。都内で企画・編集・ディレクション・デザインなどの業務を経験した後、2012年デザインスタジオ「tegusu」を創業。2016年に「tegusu Inc.」を設立。企業や店舗、商品・サービスのCI・VI計画を中心に、ロゴ、サイン、パッケージ、装丁、広報物、プロジェクトの企画サポートまで、幅広い領域で活動。情報編集、コンセプト設計、ビジュアルライズまで、一貫して行うデザインワークを大切にしている。社会課題のグラフをアートで発信する「一般社団法人チャートプロジェクト」理事。

酒井:

まずは恒例の「関係のない質問」からどうぞ!

好きな映画

『シング・ストリート』
好きなお店

「鴨屋 そば香」
最後に旅したのは

ポーランド。数年前にデザインを手がけた出版社兼書店の視察で
最近ハマっているもの

野鳥観察。菊名池公園にいると、いつまでも眺めてしまう
17歳に戻れたら

恥ずかしいポエムを書いたノートを焼却しておきたい
1億円あったら

活版印刷など色々な印刷機材がほしい

クリエイティブな少年期

酒井:

まずは藤田さんの原点、子どもの頃の思い出から聞いてみてもいいですか?

藤田さん:

はい。出身は静岡県藤枝市で、三人兄妹の次男でした。昔から家で絵を描くのが好きな子どもでしたね。

その頃は藤子・F・不二雄先生のマンガが大好きで、『大長編ドラえもん』シリーズの単行本を集めたりもしていました。

酒井:

おお〜。言われてみれば、藤田さんのデザインするキャラクターには、藤子先生のマンガに通ずるものがありそうです

その後はどんな十代を過ごしたんでしょうか?

お絵描きが大好きだったという幼少期の藤田さん

藤田さん:

地元の高校に進んでからは写真部に入って。おじいちゃんにもらった古い一眼レフで写真撮影に熱を上げたりしていましたね。

酒井:

「バンド活動もしていた」というウワサも聞いたのですが、本当ですか?

藤田さん:

はい(笑) 実は高校進学した頃に突然ハードロックやメタルにハマってしまって、勢いのままバンドを組んだんですよ。

酒井:

おぉ〜。それは意外ですね(笑)

藤田さん:

僕はギターボーカルだったんですが、その頃のビジュアルは今とは全然違いました。

今の自分が故郷で同窓生とすれ違っても本当にバレないと思います。全く面影ないですから(笑)

デザイナーの道へ

酒井:

そんな藤田さんがどのようにデザイナーの世界に入られたのか、教えて下さい。

藤田さん:

高校卒業後は、静岡文化芸術大学に進学しました。

専攻としてはいわゆる工業デザインを学んでいたんですが、その頃からずっとグラフィックデザインに興味があったんです。

それで友人と一緒にグラフィック系の活動ができるサークルを立ち上げたりもしました。

酒井:

その後はどんなところに就職されたんですか?

藤田さん:

グラフィックデザインや紙媒体の制作に携われる仕事がしたくて、都内の制作会社に入社しました。

最初は編集部門に配属されたので、芸能人に取材したり、プログラムの原稿を作ったりするような仕事が多かったですね。

酒井:

ずっとデザインの仕事をしてきたということでもなかったんですね。

藤田さん:

そうなんです。それでも会社のデザイン部署に行きたいという気持ちはあり、異動させてほしいという話を自分から上司に掛け合いました。

ちゃんと社内試験みたいなものも受けて、ようやくデザイナーとして仕事できる居場所を勝ち取ったという感じでしたね。

酒井:

晴れてデザイナーとしてのお仕事がはじまったということですが、その頃はどんな制作に携わったのでしょう?

藤田さん:

当初は企業のフリーペーパーのデザインを担当していました。毎月の表紙や特集ページを組んだり、誌名ロゴも制作しましたね。

酒井:

その後に一度転職されたということですが、その辺りの仕事遍歴も聞いてみてもいいですか?

藤田さん:

はい。その頃、人生で一度はマスマーケットの広告もやっておきたいな、という気持ちになっていました。せっかくデザイナーとして働くなら、街中にバーンと掲示されるような大きなクライアントワークも経験しておこうと。

それで今度は広告系の制作会社に入りました。入社早々に洗礼も受けましたね・・・。真夜中まで仕事は当たり前、時には朝帰りもあるような環境でした。

酒井:

広告最前線という感じの、なかなかハードな環境ですね・・・・・・。

藤田さん:

はい。それでも、仕事環境に音を上げた記憶はそれほどなかったです。

それよりは、デザイナーとしての自分と、クライアントとの間に距離があることが気になっていました。代理店経由の指示で動く仕事も多かったので、エンドクライアントとの間のコミュニケーションがほとんどなかったんです。

業界的にはよくある話ですし、広告業界の仕事の流れを知ることができたのは良かったです。

酒井:

その後はどんなお仕事をされていたんですか?

藤田さん:

その制作会社を1年半ほどで辞めて、そのまま独立しましたね。ちょうど28歳で、まだ引き返せる年齢だし、一度個人でやってみてもいいかもしれないと思ったんです。

それでなんの後ろ盾もなく、資金もなく、この身を自分で世の中に放り出したっていう感じです

「社会へつなぐ糸」になりたい

酒井:

20代で独立というのも驚きですが、その頃から屋号は「tegusu」なんですか?

藤田さん:

そうですね。当初から屋号は変わっていません。元々、「藤田雅臣デザイン事務所」みたいな個人名でやっていくイメージは持てなくて・・・・・・。

思えば当初から、チームでやれたらいいなっていう目標はあったんですよね。

酒井:

そうなんですね。背景にある想いについても聞いてみたかったんですが、実際どんな意味を込めたんでしょうか?

藤田さん:

はい。「テグス」というのは透明な糸のことですね。かつては蛾の幼虫から作られる天然素材として、他の糸に織り交ぜると生地の強度と美しさを補うことができるということで、織物などにも重宝されてきたそうです。

現在は合成繊維でアクセサリーや釣り糸としての用途が多いのですが、撮影道具でも、見えないように物を引っ張り上げる時に使われます。そんな裏方的な機能に、デザイナーの役割を投影しました。そこから、クライアントの想いや技術、プロダクトを「社会へつなぐ糸」になることを目指して、「tegusu」と命名したんです。

後編は、妙蓮寺に事務所を構えたtesuguさんの多彩な仕事に迫ります!お楽しみに〜。

<credit>
文/石垣慧
撮影編集/松本瑞生

tegusu Inc.

代表
藤田雅臣
事業内容
企業、団体、店舗、商品およびサービスにおけるCI、VI(ロゴマーク並びにシンボルマーク等)の企画・デザイン、グラフィックデザイン、パッケージデザイン、ポスター、カタログ、冊子等の企画、編集、デザインなど。
WEB
https://tegusu.com

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この記事を書いた人

酒井洋輔

酒井洋輔

編集長
くらしとすまいの松栄三代目。妙蓮寺生まれ・妙蓮寺育ち。農業を参考に、不動産と建築、街づくりが循環し、持続可能な形で成長するビジネスモデルを探求中。

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