ささやかだけど、あったら幸せな洋菓子を〈洋菓子sinonoka 篠崎夫婦〉(前編)

お店とケのまち

今回は、「洋菓子sinonoka」の「篠崎 大介」さん「篠崎 寿子」さんご夫婦にお話を伺いました。

プロフィール

篠崎 大介さん

プロフィール:理系の大学を卒業後、システムエンジニアとして就職。その後、製菓学校に入学。数々の人気店で修行を積み、2020年「洋菓子sinonoka」をオープン。パティシエとして主に製造を担当。

篠崎 寿子さん

プロフィール:大学卒業後は医療事務として勤務。その後、製菓学校に入学し、都内有名店にて販売を担当。2020年、大介さんと共に「洋菓子sinonoka」をオープン。主に接客を担当。

酒井:

それでは毎回恒例の「関係のない質問」からどうぞ!

好きな深夜番組
あちこちオードリー
ポテチは何味派?
堅あげポテト
息抜きは?
散歩
よく聴く曲
大介さん:藤井風 / 寿子さん:竹原ピストル・あいみょん
最後に旅したのは?
去年の冬に伊豆へ
人生最大の買い物
このお店の内装設備
自分へのご褒美
影響を受けたもの
パティスリースリールのケーキ
17歳に戻れたら
大介さん:後悔がないのでやり直したいとは思わない/寿子さん:水着が着たい(笑)
100時間あったら
大介さん:やり残してるお店のタスクをやってしまいたい / 寿子さん:旅行
1億円あったら
半分親にあげて、残りは老後の資金に取っておく

篠崎大介さんの生い立ち

篠崎 大介さん

酒井:

よろしくお願いします!まずお生まれはどこですか??

篠崎 大介さん:

川崎です。

実家は板金職人をやっていて、手に職を持って働くという姿を小さい時から見ていました。

父はよくテーブルを作ったり、障子を貼ったり、家のものを色々作ってくれましたね。

当時「ミニ四駆」がすごく流行っていたんですけど、2部屋ぶち抜いて大きなコースを作ってくれたのは、すごく思い出に残っています。

酒井:

そんなコースが家にあったら、小学校のヒーローですよね(笑)

大介さんは、お父さんのものづくりDNAを受け継いだんですね

一番左が大介さん

篠崎 大介さん:

小さいころから、絵を描いたり物を作るのが好きでしたね。

両親も『好きなことをやりなさい』と言ってくれるタイプで、小学校から高校まで、ずっとサッカーをやっていました

酒井:

ケーキは昔から好きだったんですか?

篠崎 大介さん:

小さい頃は、特別に好きというほどではなかったのですが、父の友達が家に来る時に、必ずケーキをお土産で買ってきてくれて

そのケーキを食べられることが楽しみだった、という思い出があるので『ケーキ』には、しあわせで楽しいイメージがありましたね。

篠崎大介さん:

その後は中学校・高校を卒業して、当時は数学が好きだったので大学は理系に進みました。

大学時代にの4年間、川崎にあったハングリータイガーでアルバイトでチャコールマンとして、働かせてもらいました。

同年代の仲間もみんな真剣で、アルバイトながらもチームワークでお店を回して、提供のタイミングや焼き方にもこだわったり、『厨房仕事の楽しさ』を味わいましたね。

インタビューは開店前の厨房で行わせていただきました

篠崎大介さん:

就職は何かを作る仕事がしたくて、理系だったこともありシステムエンジニアの道に進みました。

当時はシステムエンジニアの求人がすごく多かったんですよね。

『石の上にも三年』と両親にと言われていた事もあり、三年間働いてみたんですが、『自分の手で何かを作り出している』と思えるようになれる気がしなくて…自分には難しかったんです。

職場は楽しかったですが、『一生の仕事ではないなぁ』と。

『何がやりたいのか』を、人生で初めて真剣に考えましたね。

それで『もっとシンプルに手を動かして何かを作って喜んでもらえる仕事』がしたいと思いました。

それから色々な道を考えていくうちに、小さい頃の『ケーキのしあわせなイメージ』を思い出して、ふと『ケーキ屋さんはどうかな』と思ったんです。

でもケーキなんて作ったこともないから、とりあえず家で自分用に作ってみる事にしたんです。

篠崎大介さん:

当時、20代の社会人男子が、家でいきなりケーキを作りを始めたので、両親も不安だったと思います(笑)

でも作ったケーキを家族に出すと『美味しい、美味しい』と食べてくれて、

『自分の手を動かして、誰かを喜ばせたい』という思いが、少しだけ現実になった体験でした。

そして25か26歳の時に、SEの仕事は辞めて、昼はケーキ屋で製造のアルバイトをしながら、夜は夜間の製菓学校に通い始めることにしたんです。

当時は朝6時半から学校で紹介してもらったケーキ屋にアルバイトに行って、夕方になったら学校に行く、という生活でしたね。

週1日休みがあるかないかの、かなりハードな毎日を送っていました。

夜間の製菓学校は本当に年齢層が様々で、高卒ですぐ夜学に来た子から、主婦の方もいるし、色々な人に出会えたのは本当に楽しかったです。

自分で学費を払って通っている人が多かったので、授業中もみんな真剣で、先生に厳しい質問が飛ぶし、作業中も年齢関係なくみんなで意見をしあって、とにかく個性的で面白かったですね(笑)

お店をやっている同級生も何人かいて、今も刺激を受けています。

篠崎寿子さんの生い立ち

奥様の篠崎 寿子さん

篠崎寿子さん:

生まれは千葉の船橋です。私は姉が一人います

酒井:

なんだか長女っぽい雰囲気ですよね!

篠崎寿子さん:

長女の姉からも、そう言われます(笑)

実家はサラリーマンだったんですが、父は独立して内装業を立ち上げてやっていました。

人と話すのことが好きな性格は、母に似たんだと思います。

篠崎寿子さん:

最初のアルバイトは高校生の時で、家から1分のパン屋さんでした。

当時の地元ではまだ珍しかったのですが、パン屋さんなのにパティシエが3人もいて、ケーキのショーケースとパティシエ専用の厨房があって。

そこで生まれて初めてカシスのケーキや、オランジェット、シュトーレンを食べさせてもらって…

『こんなに美味しい食べ物があるんだ!』と感動しました

篠崎寿子さん:

でもその後は、大学に進学して病院に就職し、検査部で、事務と受付の仕事を5年間やっていました。

専門用語も多いから勉強もしたりして、忙しく楽しい職場だったんですけど、夫と同じく

『ここに、ずっといるのは違うな…』と、感じていました。

その時、ふと『高校生の時のパン屋さん、楽しかったな…』ということを思い出して、病院勤務4年目で製菓学校の夜間部に通い始めて、そこで夫と出会ったんです。

篠崎寿子さん:

製菓学校を卒業した後はパティシエとして働いていたんですが、体力が持たなくて一年ほどで辞めてしまって…

その頃に夫と結婚したので、将来のことをぼんやりと頭に入れて『大変でも色んなことをやらせてもらえる忙しいお店』を探して、桜新町にあるプラチノというケーキ屋さんで販売のアルバイトを始めました。

厨房仕事の大変さは身をもって知っていたので、販売を始めとした『作る』以外の一通りの仕事は自分でやれるようになりたかったんです。

結局14年間働いて、アルバイトでは教えてもらえないようなお店周りの細々した事まで色々とやらせてもらって、その経験があって良かったなぁと思います。

篠崎寿子さん:

販売の仕事はお菓子を選ぶお客様の楽しそうな顔が見れたり、感想を聞けたり、直接お話しできるのが楽しいですね。

そして、お店の売上にも責任を持たないといけないという事も学ばせてもらいました」

酒井:

お店が長く続くためには、味と販売の両方が大切ですよね

篠崎寿子さん:

そうですね、どちらが欠けても長くは続かないので、プラチノさんで長く働かせてもらって、本当に色々学ばせてもらいました

下積み修行と、様々な出会い

酒井:

製菓学校から就職まで、どのように進んでいったんですか?

篠崎大介さん:

学校では一般的なお菓子の基礎を教わりました。

求人票を見て就職課に相談に行くのが普通の流れだったのですが、憧れの有名店などは新卒の採用がなかったり、タイミングが合わなくて難しくて…


そんな時に当時のアルバイト先と同じ通り沿いに『パティスリー スリール』というケーキ屋さんが出来る事を耳にして、

オープンしてすぐに買いに行って食べたところ、『これだ!こんなケーキを作れるようになりたい!』と、その美味しさに感動しました。

すぐに製菓学校の先生に相談したところ、たまたま先生とスリールの岡村シェフがお知り合いで。


『今すぐ来れるならいいよ』と言ってもらえたので、当時のアルバイト先には謝って辞めさせてもらって…でもスリールで働けることが嬉しかったですね。

卒業まで夜は学校に行かせてもらって、そのまま就職して結局7年半くらい働いて、本当に色々なことを学びました。

丁寧に理論を教わるような事はありませんでしたが、見て学んで、手を動かしての繰り返しです。

シェフ穏やかなお人柄も自分に合っていたんだと思います。シェフの人柄がお菓子に出ているようなお店でしたし、きっとそういうものなんだと思いましたね。

このスリールでの7年半で『老若男女、誰が食べても美味しいと思えるような優しい味』そういう味覚養われたと思います。

篠崎大介さん:

32~3歳までスリールで修行して、色々な持ち場を経験させてもらったのですが、パティシエは修行で何店舗か回るのが一般的なので、他のお店のやり方も見てみたくなったんです。

それに今の自分の実力がどれだけ通用するのか知りたくて、スリールのシェフに行きたいお店を相談したところ、当時から人気店だった世田谷の千歳烏山にある『ラ・ヴィエイユ・フランス』が2つ目の修行先になりました。

ラ・ヴィエイユ・フランスはスリールとはまた全然違う雰囲気でした。

フランスで10年以上やっていた有名なシェフがやっているのですが、焼菓子が綺麗で本当に美味しい!私は、日本でトップクラスに美味しいと思っています。

厨房は10人程で、全国から修行に集まってきたパティシエが必死になって働いていて、シェフも朝から晩までバリバリ働いて、毎日空気が張り詰めていて…緊張感が半端なかったです。
 
このラ・ヴィエイユ・フランスで働いている頃から、自分の年齢や将来のことも考え、妻とも仕事について色々話すようになりました。

篠崎大介さん:

もともと2軒目の修行は2年くらいの予定だったので、そのくらいで妻が

仕事の幅を広げるためにも、次は料理人と働いてみたらどうかな?』と言ってくれて…
 
今までは、ずっと洋菓子店で働いていましたが、
『コース料理のデザートとしてお菓子を出す』
ということを念頭に、洋菓子店以外の修行先を探し始めました。
 

ケーキ屋だと持ち帰り時間やショーケース、箱に入れることも考えると制限が出るので…それが面白さでもあるんですけど。

レストランで働いて、その場でしか食べられないデザートを作ったり、料理に合うお菓子を考えたり、ウェディングの細工物なども出来た方が良いのでは!?と思ったんですよね。

実際、修行をした店舗のシェフも、レストラン出身者が多かったんです。

あとずっと東京だったので、もう少し落ち着いた場所でやってみたい、という気持ちがありました。
 
それで色々探している時に、結婚式で訪れた時に、料理がとても美味しかった新横浜の『HANZOYA』さんとご縁があって、ここを10年以上続いた修行の『最後の場所にしよう』と思って行きました。

HANZOYA時代の篠崎さん

篠崎大介さん:

HANZOYAでは料理のコースに合わせてデザートを考えたり、ウェディングケーキや細工物もたくさん作って、最後の方はパティシエ部門も任せてもらっていました。

独立は、HANZOYAがウェディング部門をクローズすることがきっかけでした。

それから『自分でお店ってできるのかな?』と修行時代の仲間に連絡してみたり、ちょっとずつ独立がリアルになってきた感じでした。

スリールで働いていた時は、学芸大に住んでいたのですが、ぼんやりと『東横線って、やっぱりいいな…』と思っていて。
 
HANZOYAで働き始める時に、家探しで菊名から妙蓮寺まで歩いてみたことがあったんですけど、妙蓮寺駅に近づいた時に
 
「絶対ここだ!」
 
と思ったんです、直感ですが(笑)

当時はまだ独立なんて、現実的ではなかったのですが、『いい街だねここでやりたいね』と妻とよく話していました

後編に続く~

酒井:

後編は、いよいよ洋菓子sinonokaが妙蓮寺でお店を作り始めるお話です!お楽しみに~

洋菓子sinonoka

住所
〒222-0011 神奈川県横浜市港北区菊名1丁目12−14  1階
Insta
https://www.instagram.com/sinonoka/

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この記事を書いた人

酒井洋輔

酒井洋輔

編集長
くらしとすまいの松栄三代目。妙蓮寺生まれ・妙蓮寺育ち(悪そうな人は友達ではない)農業を参考に、不動産と建築、街づくりが循環し、持続可能な形で成長するビジネスモデルを探求中。

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