肉道を追求する親子が営む、まちの肉屋〈肉のキタムラ 北村勇樹〉(前編)

お店とケのまち

妙蓮寺、池の畔商店街のお肉屋さん
肉のキタムラ二代目北村勇樹さんに、お話を伺ってきました。

プロフィール

北村 勇樹

1986年3月生まれ。 創業者である父(雅弘さん)の元、三人兄弟の長男として横浜・妙蓮寺で生まれ育つ。 幼少期は野球少年として、早朝から深夜まで野球に没頭する日々を過ごし、甲子園に出場した経歴の持ち主。 大学卒業を期に父が創業した肉のキタムラを継ぐべく、肉屋のイロハを学び、横浜でも指折りの肉の目利きの持ち主に。 現在は、将来の代替わりを視野にいれ、店の切り盛りに力を入れている。

酒井:

学生時代は、肉屋のことは考えていなかった」という勇樹さんに、肉屋を継いだ経緯や、人生を懸けて肉に向き合う想いを、たっぷり伺ってきました!

おかずのキタムラ料理長さん(左)、慈さん勇樹さんご夫婦(真ん中)、 父 雅弘さん(右) みんな仲がいい! 

酒井:

まずは恒例の『関係ない質問をぶつけてみた』をどうぞ!

出身
妙蓮寺!
靴のサイズ
27㎝
好きな深夜番組
月曜から夜更かし
好きな映画
『翔んで埼玉』 GACKTさんLOVE!
お肉の好きな部位
牛:いちぼ
豚:全部好き
お酒は?
毎日、仕事上がりに缶酎ハイ1本だけ
ヘビロテ アプリ
実はアナログ人間なのでLINEくらいしか使えないです
息抜きする場所
自宅と車の中
最後に旅したのは
去年のGW、箱根へ家族旅行に
最後に泣いたのは
妹の結婚式の「両親へのスピーチ」を聞いた時

GACKTが好き

勇樹さんはGACKTが「崇拝するほど好き」で、GACKTが着用している洋服やサングラスなどを調べて買う程なんだとか。

勇樹さん:

GACKTさんは、元々不器用なんだけど、極めるところは、とことん極めるというスタイルがカッコイイと思っていて。ストイックさに憧れています。

そして 自分も『物事を突き詰めるスタイル』が父と似ていて…笑
『翔んで埼玉(GACKT主演)』オススメです!!

また、意外にも「アナログ人間」だという勇樹さん。
インスタなどのお店のSNSは、親戚でもある『おかずのキタムラ』の料理長に担当してもらっているのだとか。

酒井:

この段階で、勇樹さんの『仕事に対する姿勢』を垣間見れた気が…
 
それでは、いざ本編へ!

誰よりも練習をした野球少年時代

主に篠原小学校などで練習をしている野球クラブ『富士塚レディアンツ』に所属し、野球の魅力にハマった勇樹少年。

勇樹さん:

たまたま当時住んでいた隣の家に、富士塚レディアンツ の監督が住んでいて、「野球やらない?」と声をかけてもらったことがきっかけだったんです。

富士塚レディアンツのユニフォームを着る勇樹さん。かわいい!

勇樹さん:

体験で行ってみて、楽しかったので「やる!」となり、そこからずっと野球一筋。
学生時代は、実家の肉屋を手伝う時間も全くなかったです。

勇樹さん:

有難いことに、高校・大学はスポーツ推薦で特待生として通わせてもらっていました。

所属していた高校の野球部は当時、全国の高校で一番の部員数で230名くらい部員がいました。
その中でベンチ入りできるのは、たった18人だけ

その時は、ひたすら自主練を頑張りました。高校生でしたが、始発で行って終電で帰る生活です。

才能はわかりませんが、『練習だけは誰よりもした』と自負しています。

そして、勝ち取った背番号は『9』レギュラー9人の中で、ライトの定位置9番をもらって、ありがたいことに打順1番で使ってもらうこともありました。

第85回全国高校野球 神奈川大会で見事優勝し、甲子園へ

酒井:

すごい!!学生時代からストイックですね…自分の高校時代が恥ずかしい(笑)

勇樹さん:

好きなことだけは、ストイックにできるんです(笑)
「努力」というより「没頭」「夢中」の方が近いかもしれません。

父が「ここまで心血を注ぐ仕事」とは

大学卒業後は自然と「肉のキタムラ」の後継者として肉屋の道へ。

勇樹さん:

元々後継ぎが自分しかいなかったこともありますが、親父の背中を見ていて
 
ここまで没頭できる仕事って、何なんだ!?
 
と感じていました。
父はもの凄い努力をしていたので…

勇樹さん:

例えば、年末の29日、30日、31日、父は寝ないんです。

年末になると、ありがたいことに1日の来客数が通常の10倍になります

でも、鮮度が重要な肉は切り置きできないので、その日に売れる分しか切れないんです。
だから寝ずに仕込みをやるしかない。

前に『コンビニ肉屋』って言われたことがあるらしいんです(笑)ずっと電気がついてるので…

勇樹さん、お話がとっても楽しい方でした。

勇樹さん:

でも、それくらい父は肉屋に命をかけていて

酒井:

お父さま、すごい…!
創業はお父さまが?

毎日始発から終電まで ストイックな姿勢は父譲り

勇樹さん:

はい。
父は元々、黄金町にある卸専門の肉屋で修業していましたが、卸だけでなく顔が見えるお客様への小売業をやりたいと思っていて
『援助も何もいらないから独立させてくれ』と27歳の時に独立したのが、肉のキタムラの始まりです。

創業時のお父さま(真ん中)とお母さま(左)

その時、勇樹さんのお爺さまが現在の店舗を探してきて、父、母、パートさん1~2名で始めたのだとか。

勇樹さん:

僕が生まれてしばらくは黄金町に住んでいたので、父は始発で行って終電で帰る生活でした。
風呂入って、仮眠取ったらまた妙蓮寺に戻る。
毎日毎日その繰り返しだったらしいんです。

酒井:

始発で行って終電で帰る生活…勇樹さんとお父さんのストイックさが一緒ですね…!

勇樹さん:

その後、妙蓮寺の店舗の三階、4.5帖の部屋に家族5人で住んでいたんですけど、
川の字じゃないですけど、5人きつきつになりながら寝てましたね (笑)

物心ついたときから、ずっと両親が商売やってたので、親と出かけるとか面倒みてもらうとかは、ほぼありませんでした。

おかずのキタムラの料理長は、僕の従兄なんですけど、その料理長のお母さん(叔母さん)に面倒を見てもらってました。

従兄の「おかずのキタムラ料理長」

勇樹さん:

この叔母さんの料理がめちゃくちゃ美味しくって
家庭料理なんですけど、ぱぱぱっと簡単に作ってくれた物が、すごい美味しいんです

おかずのキタムラで人気の「オードブル」はとても豪華!

おかずのキタムラの料理が絶品なのは、そんな料理上手な叔母さまの存在があったからなのですね。

お味噌汁も一から出汁を取るこだわり。手作りにこだわって手間暇かけて作る「おかずのキタムラ」の原点は、勇樹さんが幼少の頃に食べた「叔母さんの手料理」にありました。

酒井:

この味噌汁を飲んだ時に、裏で『海原雄山』が作っているのでは!?と疑うくらいでした、、、
後編につづく!!!

後編はこちらから!

肉のキタムラ

電話番号
045-421-1129
住所
横浜市港北区菊名1丁目7-13
URL
http://www.nikunokitamura.com/

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この記事を書いた人

酒井洋輔

酒井洋輔

編集長
くらしとすまいの松栄三代目。妙蓮寺生まれ・妙蓮寺育ち。農業を参考に、不動産と建築、街づくりが循環し、持続可能な形で成長するビジネスモデルを探求中。

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