みなさんと、よいまちづくりを〈妙蓮寺 山本 玄征〉(前編)

お店とケのまち

今回は、「長光山 妙蓮寺」住職「山本 玄征」さんです。 

プロフィール

山本 玄征

生まれも育ちも妙蓮寺。 長年にわたり妙蓮寺のまちをつくり、その変化を見守ってきた妙蓮寺の第四世住職。 

酒井:

今回は「妙蓮寺」のトップである「住職」のお話が聞けるということで、非常に緊張しております(汗)
この街の「重鎮中の重鎮」なので、いつもの「関係ない質問」なんて出来るハズもなく(笑)いきなり本題インタビューいかせて頂きます!

昔の妙蓮寺

酒井:

いつもお世話になっております。本日は大変緊張をしております。

まず、この辺りの昔の様子を教えていただけますか?

妙蓮寺さんの応接間にて

山本さん:

その昔、この辺は「ただの野原」だったのね。
いまの妙蓮寺の商店街の辺りには養鶏場があって、ニワトリがたくさんいたのよ。

仲手原一丁目は一面、本当にただの野原で、ちょっと行くと火葬場だけがあって、その後に、横浜市の交通局ができて、日石(日本石油)の社宅も出来てさ、、、

武相高校は結構古いと思うよ、昔から野球に力を入れててね。

まぁ今と昔では、この辺はだいぶ変わったよね。

昭和49年の妙蓮寺の様子
春には花見客で賑わいを見せる境内(撮影:横山清和さん) 

山本さん:

菊名池は、今のプールも含めた全体が「菊名池」で、そこに「菊名橋」という橋がかかっててね、ボート乗り場があって、大きな金魚とかもいて、すごく自然が豊かな場所だったんですよ。

池の畔には「公設市場(現ささき整形外科)」があってね。

昭和32年、現在オーケーストア付近の様子。池の水面が凍ると子供たちが度胸試しで歩くことも。その後、この付近は埋め立てられて市営プールになった。(撮影:横山清和さん)

山本さん:

私が生まれるずっと前は、「さのやさん(現FamilyMart)」は、馬の休憩所で、馬車が止まって水を飲む場所だったらしいんですよ。

白楽から妙蓮寺に来ると、ゆるやかな坂になっているでしょ??

当時は馬車だから、馬も疲れて休む場所が必要だったみたい(笑)

東急さんが電車を通す前は、この辺りは一帯「畑」だったけど、駅ができる時に、当時の若い人たちが

街ができるから店を出そう

って言って「風月堂さん」「呉服屋さん」なんかが出来たみたいなんだよね。

あと商店街で古くからあったのは「茅木屋さん(現オリジン弁当)」とか 「さのやさん(現FamilyMart)」とかですかね。 

昭和32年、妙蓮寺のお会式の様子。
後ろには株式会社カメガヤ(現Fit Care DEPOT)の看板が見える。(撮影:横山清和さん)
昭和32年、菊名池近くの三角公園で行われていたラジオ体操に、多くの子供が集まっている様子。(撮影:横山清和さん)

酒井:

そうだったんですね、まさか妙蓮寺に養鶏場があったとは、、、地元の私でも知らなかったです(汗)

ちなみに「妙蓮寺駅」の土地は、妙蓮寺さんが提供されたんだとか??

山本さん:

そうそう、3代前の住職が当時、東急電鉄社長の五島慶太さんと仲が良くてね、茶飲み友達」みたいな仲だったらしいの。

五島さんは『電車を通したい』って言ってたけど、やっぱり用地取得が大変だったみたいで、、、 

そんな時に、うちの住職が

『だったらうちが、無償で駅と線路用地を提供しますよ』

ということを申し出て、この場所に駅ができることになったらしいんです。

昭和49年の妙蓮寺駅付近の様子(撮影:横山清和さん)
東横線開通前は、妙蓮寺駅周辺はお寺さんの参道だったそう

酒井:

そうだったんですね、そんな経緯が、、、

お寺さんの土地がなかったら、駅がずれていた可能性もあったんですか?

山本さん:

もしかしたら、そうかも知れないね。

線路はアップダウンがない方が良いわけだし、大倉山から新横浜方面に行った方が、山が少なく平坦ですからね。

当時、五島さんは相当喜んだみたいで
そんな経緯があったので、東急さんが「感謝の気持ち」で駅名を「妙蓮寺」にしてくれたそうなんです。

酒井:

感謝の気持ちで命名された駅名。
とてもいい話ですね!!

山本さん:

そうだね。

でも東横線が通ってくれたおかげで「今の妙蓮寺の街」があるわけだし、当時はこんなに発展するとは、思いもしなかったと思うけど、、、

良いことをしたと思いますよね。

酒井:

あと、街の人はあまり知らないかもですが、、、

お寺さんは昔から「妙蓮寺のまちづくり」を深く考えて、実際にまちづくりを行っているじゃないですか。

うち(松栄)がお寺さんの不動産物件募集を行うときは、必ず

『このお店や業種が、この街のためになるか』

という議論を土屋さん(※1)と行いながら、審査を行っていたり、

その土屋さんは、某プレミアムコーヒーチェーンをこの街に誘致しようとチャレンジしていたり、、、

お寺さんとしては「まちづくり」にどんな想いがありますか??

山本さん:

まちづくりって、やっぱりその場の空気を感じることが大切でしょ。

だから、私も日常はほとんど電車に乗って移動しているんですよ。

車も好きなんだけど、街の雰囲気を感じながら、街を歩くようにしているんです。

それに、うちの街は派手な繁華街ではなく、閑静な住宅街だから、

この良さを活かしてくれて、
 この街に合ったお店に入ってもらいたい』

と思っているの。

派手な街が好きな人には向かないかも知れないけど、ゆっくり落ち着いて暮らしたい人にはいい街だと思うんだよなぁ。

だから、この今のまま「落ち着いたまちづくり」をしていけば良いと思うの。

※1: 土屋光廣 「有限会社橘」代表取締役。妙蓮寺のまちづくりを影から支える妙蓮寺不動産管理の責任者。The Night Cruisersのベーシストという一面も。

酒井:

とても貴重な、昔の妙蓮寺のお話ありがとうございました。

昔のお写真は、妙蓮寺ニコニコ会会長の横山さんが快くお貸しくださいました。この場をお借りして感謝いたします。

後編はこちらから

妙蓮寺 縁起

観応元年(一三五〇年)に開山した「妙仙寺」が「横浜鉄道臨港線」の敷設に際して移転する際に、第四十一世住職慈性院日體上人が、妙仙寺の「妙」と、現在の地にあった蓮光寺の「蓮」を合わせ、「妙蓮寺」と改めたのが、現在の妙蓮寺のはじまり。お祀りする日蓮聖人の御尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳、日像上人の作。

宗教法人 妙蓮寺

代表役員
山本 玄征
住所
横浜市港北区菊名2-1-5

有限会社 橘

代表取締役
土屋 光廣
住所
横浜市港北区菊名2-1-3
関連会社。妙蓮寺斎場・不動産管理部・永代供養墓地受付 妙蓮寺趣味の教室・ホームページ運営 
HP
http://www.myorenji.jp

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この記事を書いた人

酒井洋輔

酒井洋輔

編集長
くらしとすまいの松栄三代目。妙蓮寺生まれ・妙蓮寺育ち。農業を参考に、不動産と建築、街づくりが循環し、持続可能な形で成長するビジネスモデルを探求中。

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